いろは歌 of Tetsu-ya.jp 堀之内哲也 Official Site

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「いろは歌」が世界を幸せにする!

いろは歌と出会って人生観が大きく変わりました。

[いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずば甲斐なし]

IMG_1283.JPG「全47首のいろは歌」が作られた鹿児島は、島津家が永きに渡り(約800年)治め続けた全国でも特殊な地域であり、
長く治める事が出来た大きな要因の一つと言われているのが「いろは歌」の存在。
混乱が続く戦国時代、鹿児島の地を治めた殿様(島津忠良)が戦乱の世に疲れ心も荒れ果てた民衆の姿を見て、人々の幸せを願い、
生きる上で大切な教えを家来や庶民に分かりやすく教えるために五七五七七の和歌にしたものが「島津日新公いろは歌」の始まり。
500年もの間、鹿児島で子供達の教科書として使われ続け、大人達も人生訓として歌い実践して来た。
明治維新の頃活躍した、鹿児島出身の志士達は皆、幼い頃に「いろは歌」の教えを受けた人ばかり。
現在は知る人も少なく、鹿児島の地でも忘れ去られようとしてる。
“ 人々の生きぬく術”、そして“ 生きる力” となるメッセージが込められたいろは歌。
“ 先の見えないと言われる今の世こそ必要とされるもの” と、鹿児島の出身の書のパフォーマー 堀之内哲也が武将を装い、
現代の言葉で「いろは歌」を、わかりやすく表現いたします。

「いろは歌」はボーイスカウトの源!?

terakoya.jpg写真のキャプションを入力します。鹿児島では青少年育成に「郷中教育」という独特の教育制度がとられていました。郷中教育とは、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、勉学・武芸を通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。

そこで永年教科書として使われたのが「日新公のいろは歌」です。

 稚児は年齢によってさらに、6・7歳〜10歳の小稚児(こちご)と11歳〜14・15歳の長稚児(おせちご)に分けられ、稚児のリーダーとして稚児頭(ちごがしら)がいました。また、二才(15・16歳〜24・25歳)のリーダーとして二才頭(にせがしら)がいて、二才と稚児の面倒をみていました。
 稚児と呼ばれる武士の子どもたちは、早朝、毎日先輩の家へ走っていって本読みを習い、家に帰って朝食後その復習をしたのち今度は、馬場と呼ばれる広場や神社の境内などに集って、馬追いや降参言わせ、相撲、旗とりなどの山坂達者によって身体を鍛えます。午後は、読み書きの復習をした後、先輩や先生の家にいって夕方まで、剣、槍、弓、馬術など、武芸の稽古です。

1908年イギリス軍人ベーデン・パウエルによって設立されたボーイスカウトはこの薩摩独特の教育制度「郷中教育」を参考にして設立されたと言われています。